
「このノート、返すね」
妖精たちが飛んでいって、がらんどうになった砲弾倉庫の前で。
あたしは自分のナップサックから、翻訳ノートの束を出して、中条にわたした。
「あたしがこのノートを読んでも、アホっ子だから、ちゃんと覚えきれないし。ヨウちゃんだって、毎日原文訳して、睡眠時間三時間じゃイヤでしょ?」
「……は? おい、和泉……」
カッコよく立ち去りたいから、あたし、ひとりでずんずん、お花畑の中を歩き出す。
妖精たちが消えていったお花畑で、ヒヨドリがさえずってる。
世界はすっかり、いつもの日常。
「待てって。おまえはまた勝手に、人を下の名前で……」
ぐいっと、肩を引きもどされる。
「って、言うか、いいのか? 和泉だって、フェアリー・ドクターになりたかったんだろ?」
「うん。けどね。きょう、がんばってるヨウちゃん見て、あたし思い直したの。ヨウちゃんはずっと、パパのことを気にかけてて、でもヘタレだから、向かい合う勇気がなかっただけじゃないかって」
「……おまえな。いちいち、つっかかる言い方を……」
言い方はアレだけど、でも本当。
もしかしたら中条は、ずっと地下のあかずの間を気にしていたのかもしれない。
ドアを開けて、小さいころに亡くなった自分の父親がどういう人だったのか、知りたかったのかもしれない。
「だから、パパのお仕事は、ヨウちゃんが引きつがなきゃ。あたしはいいんだ。あたしはフェアリー・ドクターじゃなくって、本物のフェアリーだもん!」
声に出したら、ドキドキした。
さっき、妖精の女の子を治すために、妖精の輪に入ったとき。
妖精たちが、あたしの肩にとまってくれた。
あのとき、自分も妖精の仲間になれた気がしたんだ――。
「……は? 本物のフェアリー?」
中条の声が裏返る。
人に話すのなんてはじめて。
有香ちゃんにも真央ちゃんにも話せなかった。
ママにだって、パパにだって、ナイショにしてた。
あたしの胸の、奥の奥の話。
「あのね。あたし、小さいころ、ヨウちゃんのお父さんと妖精を見たことがあるって言ったでしょ? そのとき、お父さんに言われたの……。あたしの背中には羽があるって……」
足元で赤紫色の小花がチラチラとゆれる。たわわな小鈴。チラチラ、チラチラ。
一歩一歩。思い出に近づくみたいに、あたしは、一言一言、ゆっくり話す。
胸のところで両手をにぎりあわせて、顔をあげると、足を赤紫色の花にうずめて、ヨウちゃんが立っていた。
「……そうか」
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。この人ならわかってくれる。
この人はもう、冷たいだけの中条じゃない。
「――和泉、おまえさ」
すっと、琥珀色の目が、あたしを見つめる。
ドキンと、心臓がとびはねる。
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