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――だいじょうぶ。きみの背中には羽がある――
男の人は言った。
――その羽を、きみ自身が信じられなくなってしまったら、きみの羽は抜けてしまうだろう――
あたしは涙をこぼして、しゃくりあげながら、その人を見あげた。
あたしの手や足は、今よりもずっと短い。身長もすごく低いから、目の前にしゃがみこんだ男の人が、巨人みたいに大きく感じる。
あたしが着ている紺色のスモックは、幼稚園のときの制服。頭にかぶっているのは、黄色いチューリップハット。
男の人の大きな手が近づいてくる。小さなあたしの手のひらに、真珠みたいなアメが一粒、ころんと置かれる。
――羽があることをわすれないで。そうすれば、いつかきっと、きみは空を飛んでいけるから――
空を……飛べるの……?
あたしは、その人の琥珀色の目をのぞきこんだ。
宝石みたい。透きとおっていて、奥がじんわりあったかい。
その人は、ほっぺたのしわを深くして、ほほえんだ。
茶色い背広に、茶色い中折れ帽子をかぶってる。えりもとにはループタイ。パパよりも少しおじさんかな?
本当に? あたしでも?
こんな、へなちょこりんのあたしでも?
だって、ママ、怒るんだよ? あたしがおねぼうさんだから。
みんなは、おようふくのボタンとめられるのに、あたしだけ、とめらんないの。
おゆうぎもね、あたしだけへたっぴなの。
だからね、あたしは、ひとりぼっち。
みんなといっしょに、お山に来てたんだけど。みんな、あたしなんかいらないって、どっかに消えちゃったんだ。
――綾ちゃん、耳をすませてごらん。先生の声がきこえるよ。綾ちゃんを心配して、さがしているよ。時期が来れば、きみはかならず、おじさんの言葉の意味に気づくはず。それまでは信じることをやめないで――
おじさんの胸や肩に、無数の銀色の羽がとまっている。
トンボの羽のある小さな女の子や男の子が、身を休めてる――。
● ● ● ● ●
思い出したっ!
あのとき、あたしは幼稚園の年中さんで。
浅山に遠足に来ていて。迷子になって、かなしくて。
あのおじさんに助けてもらった。
……あたし……昔も妖精を見てたんだ……。
「うわぁあああああっ!! 」
思い出にひたるあたしの前で、中条が背中から倒れていく。
右足と左足を交差させてるから、自分で自分の足に引っかかったみたい。
「うわ、うわ、うわ、うわぁっ!! 」
砲弾倉庫の前に尻もちをついたと思ったら、今度は、腕をめちゃくちゃにふりまわしはじめた。
「な、なんだ、こいつっ! や、やめろ! きしょくわるい! は、は、はなれろ~っ!! 」
中条の胸に、さっきの妖精の女の子がくっついている。
「チチチチ。チチチ、キン、キン」
スプーンとフォークをかちあわせたみたいな。せわしない音。
よく見たら、女の子が口をパクパクしてる。
これって、妖精の声っ!?
「チチチチ、チチチチチ」
青い目で、きゅっと中条を見あげて。ツツジのめしべみたいに細い両手でしがみついて。
「おねえさんを助けて」って、うったえているみたい。
「うわ、うわ、うわぁああっ !!」
だけど、中条、前も見えてない。
腕をふりまわしながら、立ちあがり。と思ったら、後ろにさがりすぎたせいで、レンガの壁に背中をうちつけて。自分の失敗なのに、「ぎゃあ!」とか、人にやられたみたいにおどろいてる。
妖精の子の手が、ほどけた一瞬。
「に、逃げるぞっ!」
中条は、つんのめるようにして、かけだした。
「わっ 」って右手首を見たら、あたしの手までつかまれてる。
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